レッスンにおいて「セオリー」の説明をすると、しばしば返ってくる言葉がある。
「そんなこと言われてもねぇ」
口に出さずとも、異を唱えたいような表情を見せる受講者は少なくない。特に、試合経験のあるプレーヤーにその傾向が見られることが多い。

セオリーとは何か?
セオリーとは一言で言えば「戦術のスタートライン」である。
この基礎を理解して初めて、「なぜポイントが取れたのか」「なぜ失ったのか」という現象の本質が見えてくる。
また、セオリーの理解があってこそ、応用的な判断やプレーも可能になる。
スタートラインのずれが招く“意図のずれ”
たとえば、誤ったポジションを取っている受講者に対し、
「あそこに打ったなら、相手はこの辺りに返してくる可能性が高い。だから、そこではなくこちらに立つべきだ」
と説明することがある。
試合経験のある者であれば、多くは「なぜそこに打ったのか」「なぜその位置に立ったのか」といった意図を持って行動しており、それを共有してくれる。
しかし、その意図はセオリーからの出発ではないため、結果的に微妙なズレが生じる。
それを伝えると、決まって返ってくるのが以下のような言葉である。
「試合中そんなとこに打ったら取られちゃうし、そんなとこに立ったら決められちゃう」

セオリーを知っている者と知らない者の違い
戦術においては、相手のいる場所にあえて打つ選択もあるし、自分に落ち度がなくとも、相手の素晴らしいプレーによってポイントを失うこともある。
セオリーを知らなければ、相手の“たまたま入ったショット”や“特異なプレースタイル”に対して過剰に恐れてしまう。
一方で、セオリーを理解している者であれば、
「たまたまだな」
「逆にそこにしか打てなかったんだな」
と冷静に受け止めることができる。
そこには「恐れ」が生じない。

セオリーがないと“戻る場所”がなくなる
セオリーを持たないプレーヤーは、極端に言えば、
1ポイントごと、1試合ごと、対戦相手が変わるたびに思考の軸を変えなければならない。
これは非常に不安定である。
なぜなら、「自分の戻るべき場所」がないからだ。
セオリーとは「高確率の選択肢」である
セオリーとは単なる理論ではない。
高い確率でポイントを取れる方法の集約である。
そのため、仮にセオリー通りにプレーしてポイントを失っても、
「相手が低確率のプレーを成功させただけ」
「あれが相手の得意パターンなのか。ではこちらもセオリーを少し外して対応しよう」
といったように、次の戦術を柔軟に考えることができる。

戦術はセオリーから生まれる
ここから、
- 左利きの相手にはこのパターン
- グリップの厚い相手にはこの戦術
- 両手バックの選手にはこの対応
といったセオリーから派生した応用的な戦術が形成されていく。
つまり、
セオリー無くして戦術無し。
この言葉の重みを、多くのプレーヤーに知ってもらいたい。
ジュニアや一般クラスにも徹底した指導を
私は、一般クラスの方はもちろん、ジュニアの選手たちにもセオリーの理解を徹底して教えている。
小さいうちに「考えるテニス」の習慣を身につけておけば、成長して理解力が高まったときに、自ら考えを発展させていけるからだ。
もちろん今は、グラウンドストロークとネットプレーのセオリーを逆に覚えてしまって、思い切りパスを抜かれるといった場面も日常茶飯事である。
それでも、根気よく続けていれば、必ず花開くと信じている。
まとめ|セオリーはプレーヤーの「地図」である
セオリーとは、プレーヤーにとっての「地図」であり、戦術を考える際の「基準」である。
そこを無視して試合に臨むことは、地図なしで旅に出るようなものだ。
だからこそ、「セオリーを知る」ということが、テニスの真のスタートラインなのである。
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📝この記事を書いた人:
「テニスの大学」運営者 ゆうき
元テニス選手/テニスコーチ。詳しいプロフィールや活動内容はこちら👇
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